こんにちは、個別教師Campライターの小室です。
模試や定期テストの勉強している際に、良く苦手としてあげられるのが「文化史」です。
しかし文化史というのはその時代の背景や権力者から読み取っていくと覚えやすくなります。
今回は近世の文化 桃山・寛永期についてです。
室町文化 南北朝・北山
前回の内容で、「室町文化 東山・戦国期」について解説しました。
室町幕府というのは、前回までもお伝えした通り、足利家が将軍として政治を行ってきた時代です。
しかし、15代将軍である足利義昭を織田信長が京都から追放したことにより室町幕府が滅亡します。
それ以来は各地の武将が天下を求めて戦う時代がやってきます。
その中でも有力だったのが、義昭を廃した織田信長でしたが、織田信長も明智光秀の謀反による本能寺の変で、歴史の表舞台から姿を消します。
その後に頭角を出し、天下を取ったのが農民出身で信長の家臣だった豊臣秀吉です。そしてその豊臣家を、大坂の陣で破ったのが2023年の大河ドラマでもあった徳川家康になります。
今回の「桃山」部分では、主に織田信長と豊臣秀吉の時代の「安土桃山」の文化を扱い、
「寛永」では徳川家康の後の江戸幕府3代将軍の徳川家光の時代の文化を中心に扱っていきたいと思います。
桃山
桃山文化は前回の東山文化と異なり、絢爛豪華なところが大きな特徴と言えます。
同じ武士が中心となった時代であっても、仏教色が薄れ、ヨーロッパなどの新しい文化が流入しながら、より豪商が活発になった文化です。
ここでは織田信長の特徴も文化に大きく反映されており、
一向一揆などの各仏教勢力からの反発や比叡山延暦寺の焼き討ちなど、
織田信長はこれまでの武士と異なり、かなり仏教勢力への圧力を強めていました。
その一方、新しい物好きということもあり、
1543年に種子島に漂着したポルトガル人らによりはじめて鉄砲が伝えられてからは戦術に鉄砲を、
また、1549年にきた宣教師らからヨーロッパの文化(南蛮文化)をかなり取り入れることとなります。
また、豊臣秀吉も信長同様文化的には仏教色をほぼとり入れませんでした。
相違点としては、豊臣秀吉は信長と異なり宣教師らへの許可を出さなかったという部分になります。
この信長と秀吉の好んだのは金を多く使った豪華な装飾で、一目見ればここまでの文化との違いが目に見えると思います。
建築物としては、天守閣がある城郭である織田信長の安土城(滋賀県)や、白鷺城と言われる姫路城があります。
絵画では濃絵や狩野永徳の『唐獅子図屛風』、
長谷川等伯の『智積院襖絵』や『洛中洛外図屛風』など絢爛なものが多いのが特徴です。
また、侘茶を完成させた千利休や
出雲阿国のかぶき踊り、人形浄瑠璃も文化として有名なものです。
寛永
寛永期の文化は江戸幕府による文化の保護・育成、桃山文化の継承をしている文化です。
そのため、絢爛さが桃山文化と似ているので覚える際は注意しましょう。
江戸幕府の3代将軍徳川家光により
日光東照宮や数寄屋造りの桂離宮、
俵屋宗達の『風神雷神図屛風』や『源氏物語絵巻』、
本阿弥光悦の『船橋蒔絵硯箱』などがあります。
覚えることが多く大変な内容ですが、資料と合わせながら視覚からも覚えていくようにしましょう。
本日もブログをお読みくださいまして、ありがとうございました。
小室
【略歴】
学生時代から個別指導塾で講師として研鑽を積み、現在はena個別牛浜の校長を務める。
大学在学時に中学・高校の社会科の教員免許を取得。
中学受験では都立南多摩中・立川国際中・私立明治大学中野八王子中などの指導実績あり。
高校受験では都立高全般の指導を行う。
これまでの経験を踏まえ、社会科分野を中心に受験に役に立つ情報を発信していきます。