こんにちは。個別教師Campライターの小室です。先日5月29日、佐賀県の吉野ケ里遺跡で弥生時代後期の石棺が新たに発見されたというニュースをご存じでしょうか? 実はこれは歴史上でとても大きな発見の可能性となるニュースです。
今回は吉野ケ里遺跡の概略から、今回のニュースについてみていきます。
【中学歴史】吉野ケ里遺跡の概要
吉野ケ里遺跡というのは佐賀県にある日本屈指の環濠集落です。
環濠集落というのは、弥生時代に九州から関東地方にかけてあった、周りを濠(ほり)で囲まれた集落のことです。この吉野ケ里遺跡には墳丘墓(お墓)や物見櫓などがあり、歴史的にも重要な遺跡です。
【中学歴史】吉野ケ里遺跡と稲作
特に中学校等でも出てくる吉野ケ里遺跡と言えば稲作の跡が見られるということが重要なポイントだったと思います。
それまでの時代(旧石器時代や縄文時代)では、主に食料の調達は【狩猟と採集】でした。日本がまだ今のような島国ではない頃にわたってきたナウマンゾウやオオツノジカ、ヘラジカを求めて大陸から移動してきた人類が今の日本人です。
このような動物を打製石器の尖頭器や細石器を利用しながら集団で狩りを行ったり、ドングリやクリなどを採集してみんなで分け合いながら生活をしていました。
ここのポイントとしては、「みんなで狩り」をしていたので、身分の差がなく平等であったということと、動物や採集するものを求めて移動しながら生活をしていたということです。そのため、今のように一つの場所に住む、ということはしていませんでした。
【中学歴史】稲作による変化
しかし大陸から稲作が伝わったことによりこの形は一変します。
稲作はより大掛かりな作業になるので、それを指揮する者・従う者とに分かれました。これにより平等ではなく「身分」が生まれました。また、稲作を行うので移動しながらではなく、その場に定住するようにもなりました。さらに稲や土地を巡って紛争も起こるようになります。
つまり、「大陸から稲作が伝わる」というのは、日本の歴史において「定住」「身分差」「紛争」を生んだとても大きな出来事であったということがわかります。
稲作がここまで重要だったからこそ、その命運を握る「天気」などを占える「呪術」を使える者の影響力の大きさがわかりますね。その力を持ち、女王となったのが卑弥呼です。この稲作が行われた跡が見られる今見つかっている中で最大のものが「吉野ケ里遺跡」です。
【中学歴史】吉野ケ里遺跡で石棺発見! まとめ
そして今回この吉野ケ里遺跡で見つかった墓の年代が、邪馬台国があった時代に近しい時期に作られたとみられるものです。また、この墓が見つかった場所が現在の調査範囲の中で最も高い位置であり、規模も大きいことから、有力者の墓であることが予想されます。
今後さらに調査が進む中で教科書が変わる可能性もあるものなので、注目してみて下さい。
小室
【略歴】
学生時代から個別指導塾で講師として研鑽を積み、現在はena個別牛浜の校長を務める。
大学在学時に中学・高校の社会科の教員免許を取得。
中学受験では都立南多摩中・立川国際中・私立明治大学中野八王子中などの指導実績あり。
高校受験では都立高全般の指導を行う。
これまでの経験を踏まえ、社会科分野を中心に受験に役に立つ情報を発信していきます。