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【中学歴史】日本史で出てくる「夷」の意味とは?

2023.06.14

おすすめ学習法

こんにちは。個別教師Campライターの小室です。
本日のブログは、日本史の単語のなかで「どうしてそういう名前なのか?」という素朴な疑問からスタートしていきたいと思います。

今回は日本の歴史で良く出てくる「」についてです。

【中学歴史】日本史で出てくる「夷」の意味とは?

この漢字で特によく印象にあるのは「征夷大将軍」や「尊王攘夷」だと思います。

まずこの漢字そのものの意味から確認していくと、「夷」という漢字には「東方の民」や「未開地の民」などの意味があります。

これを当てはめた上で「征夷大将軍」と「尊王攘夷」について考えていきます。

「征夷大将軍」とは

征夷大将軍」というのは、源頼朝や徳川家康などがついた役職であり、「将軍」の正式名称になります。

実はこの「将軍」という役職は幕府を動かす力、それに並ぶほどの力を持っていた人しか得ることができないものであり、鎌倉時代には源頼朝をはじめとする源氏や宗尊親王などが就いていました。

また、室町時代は足利尊氏をはじめとする足利家、江戸時代は徳川家康から続く徳川家のみが「征夷大将軍」になることができていました。

織田信長や豊臣秀吉は力はあったものの「征夷大将軍」にはなっていません。

豊臣秀吉が就いたのは「関白」になるので、そこも合わせておさえていきましょう。

では、この「征夷大将軍」というのは元々どういう目的で置かれた役職だったでしょうか?

「征夷大将軍」という役職の目的とは

征夷大将軍」は「蝦夷を征討する」ための「大将軍」としておかれた役職です。

蝦夷」というのは東北地方現在の関東地方や東北・北海道に暮らしていた人々のことを指しており、当時日本の中心であった京都の都から見れば「東方の民」「未開地の民」にあたります。自らの支配地を広げるために「蝦夷を征討する」。

これを成し遂げるためにこの役職というのは置かれました。蝦夷を征討する目的で置かれた征夷大将軍として有名なのは、当時の東北地方の蝦夷の中で有力者であった阿弖流為を降ろした坂上田村麻呂になります。

最初は蝦夷を征討するための臨時職であった征夷大将軍ですが、武士にとっては最高の名誉職になります。そのため源頼朝はその職を強く望み、以降江戸時代に至るまで一時的にいなくなる時代もありましたが、続いていく役職になりました。

「尊王攘夷」とは何か

次に「尊王攘夷」についてです。

これは幕末に黒船が来航して以降に水戸藩や長州藩を中心に広がりを見せた考え方で、「天皇を敬い、夷敵(外国)を討つ」といったものでした。ここでは「東方の民」や「未開地の民」というよりかは、「日本から見て外」を指す語で、そして強い意味合いを持ったものとして「夷」を用いていました。

尊王攘夷は明治政府を後に作っていったいわゆる新政府側に多く唱えられていましたが、その中心である長州藩や薩摩藩というのは幕末にそれぞれをターゲットとして外国から攻撃を受けました。

そのことから、現在の日本では外国には勝つことができないということを実感し、そこに対抗できる強力な国をつくる方向に思考を向けていきました。そのため、明治時代では外国の優れた文化を取り入れてより強い日本を目指していきました。

いかがでしたでしょうか。

テストに出てくる単語を覚えるときに必要なこと

今回取り上げた「夷」の漢字のように、日本の歴史の単語はその意味を漢字がそのまま表していることがほとんどです。

テストでどうしても単語が覚えられないときは意味も含めて考えてみてくださいね。

 

単元速習講座

【この記事を書いた人】
小室
【略歴】
学生時代から個別指導塾で講師として研鑽を積み、現在はena個別牛浜の校長を務める。
大学在学時に中学・高校の社会科の教員免許を取得。
中学受験では都立南多摩中・立川国際中・私立明治大学中野八王子中などの指導実績あり。
高校受験では都立高全般の指導を行う。
これまでの経験を踏まえ、社会科分野を中心に受験に役に立つ情報を発信していきます。

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