こんにちは、個別教師Campライターの西川です。
みなさん、2024年7月3日から新しいお札が発行されることは知っていましたか?
もう来月です。
前回2004年に変わった時には最初に新札を手に入れた友達が
ヒーローのように人気者になっていたのを思い出します。
今回はそんな新しいお札いついて、
肖像画の人物に焦点を当てて紹介していきたいと思います。
近代史でも出てくる重要な人物ばかりですのでぜひ最後までご覧ください。
【新しいお札の肖像画の人物紹介】
今回の刷新では千円札、五千円札、一万円札の3種類のお札が新しくなり、
肖像画の人物も変更となります。
千円札 北里 柴三郎
五千円札 津田 梅子
一万円札 渋沢 栄一
となります。
この3人について、みなさんどのくらいご存知ですか?
お札の肖像画になるなんてどんなすごいことをした人たちのでしょうか。
それぞれの人物について紹介していきます。
北里 柴三郎(きたざと しばさぶろう)
北里 柴三郎は1853年(嘉永5年)に生まれ、18歳で医学への道を志しました。
21歳の時に現在の東京大学医学部に入学し、その在学中に「医者の使命は病気を予防することにある」と確信し、予防医学の仕事に就くことを決意。
その後ドイツ留学中に破傷風菌の純粋培養(破傷風菌だけを取り出し培養する)や血清療法などを確立するなど、細菌学の分野で多大な功績を上げ、国内外での伝染病予防と治療に貢献しました。
北里柴三郎は同じく千円札の肖像画である野口英世と同様に医学の分野で大きな功績をあげた人物です。
津田 梅子(つだ うめこ)
津田 梅子は1864年(明治元年)、幕臣で農学者であった津田仙の娘として生まれました。
8歳の時に開拓使が募集した女子留学生の一人として、岩倉遣外使節団とともに渡米し、初等教育、中等教育を受けました。帰国後は華族女学校の教授となります。
その後、女子英学塾(後の津田塾大学)を創立。英語教育や個性を尊重する教育に努め、日本における女子教育の先駆者と評価されています。
津田梅子は教育の分野で現代にもつながる大きな功績をあげた人物です。
渋沢 栄一(しぶさわ えいいち)
渋沢 栄一は1840年(天保11年)に現在の埼玉県深谷市の農家に生まれました。
幼い頃から父親に学問を学び、27歳の時、15代将軍となった徳川慶喜の実弟・徳川昭武に随行しパリの万博を見学するほか、
欧州諸国の実情を見聞し、先進諸国の社会の内情に広く通じてきました。
帰国した栄一は、明治政府に招かれ大蔵省の一員として新しい国づくりに深く関わります。
1873(明治6)年に大蔵省を退職した後、栄一は「第一国立銀行」の総監役(後に頭取)となり、
日本で初めての銀行とされる第一国立銀行を設立しました。
また、「道徳経済合一説」を説き続け、生涯に約500もの企業に関わったといわれています。
渋沢栄一は「近代日本経済の父」と称されるほど日本の経済の発展に貢献した人物です。
【肖像画に選ばれた理由は?】
肖像画になる3名について紹介しましたが、なぜこの3名が新しいお札の肖像画に選ばれたのでしょうか。
財務省は、
「新しい紙幣の肖像になる渋沢栄一氏、津田梅子氏、北里柴三郎氏は、
それぞれの分野で傑出した業績を残すとともに、
長い時を経た現在でも私たちが課題としている新たな産業の育成、女性活躍、科学の発展といった面からも
日本の近代化をリードし、大きく貢献した方々です。
三者ともに、日々の生活に欠かせず、私たちが毎日のように手に取り、目にする紙幣の肖像としてふさわしいと考えています。」としています。
医学、教育、経済とそれぞれ分野は違えど、日本の発展に大きく貢献したという共通点があり、それが大きな理由のようです。
【来月変わる!】新しいお札の肖像画の人物とは【まとめ】
本日は新しいお札の肖像画について紹介しました。
近いうちにみなさんも新しいお札を手にすることになると思います。
その時は肖像画の人物達の功績について改めて思い出してみてください。
西川
【略歴】
大学卒業後に個別指導講師として指導を始め、現在までの10年以上の指導歴の中で都立武蔵中や早稲田実業中、都立国立高校などの合格者を輩出。
現在はena個別の校長を務め、成績向上や受験指導、進路相談など生徒それぞれの目標へ幅広いフォローを行う。
これまでの指導経験で得た成績アップや受験対策に役立つ情報を中心に発信していきます。