みなさんこんにちは。個別教師campです。
受験の結果が続々と出てきている一方で、厳しい寒さが続いています。
体調を崩さないよう防寒対策をしっかりしていきましょう。
さてこの時期は気温が下がり冷え込む一方ですが、乾燥も続いています。
そして乾燥するということはちょっとしたことで火事が起きやすい時期になります。
時代はさかのぼり、江戸時代にも乾燥した冬の時期に多くの火事が起こりました。
「火事とけんかは江戸の華」という言葉があるほど、江戸という町で火事はとても多く発生していました。
受験でも出てくる用語を確認しながら、主な江戸の火事を見ていきましょう。
【高校社会・日本史】江戸の火事 について ◎江戸の三大大火
現在火事が起こると、感知器が作動して消防に連絡が入ったり、だれか人が通報したりすると思います。
そして、消防車がやってきて消防車に蓄えられている水や道路に設置されている防火水槽などを使用して消火活動を行います。
しかし、江戸時代には現代のような防火設備が備わっているわけではありません。
そのため、一度出火すると消火活動を行うことは現代と比べると困難な時代でした。
主な火事を江戸三大大火と呼びます。
・明暦の大火(1657年 3/2~4)
・明和の大火(1772年 4/1)
・文化の大火(1806年 4/22)
特に明暦の大火は日本史分野で重要用語とされています。
この明暦の大火は3か所から連続的に発生し、結果的に江戸の町の6割が焼失してしまいました。
犠牲者も約2万人(説によっては5~6万人)に匹敵します。
出火の原因は諸説ありますが、
「曰くつき」の振袖をとある寺院で焼いて供養したことがきっかけで大火となったと言われ、
明暦の大火は別名「振袖火事」といわれることもあります。
このような大火が続く中で、消防組織が徐々に整備されていきました。
幕府は明暦の大火の前の1643年に大名火消というものを作るよう指示していました。
これは、徳川家光が16の大名家を指名して消防隊を作らせました。
目的は主に江戸城や武士の家を火事から守るためであり、明暦の大火の前に設置されていました。
【高校社会・日本史】江戸の火事 について ◎江戸の消防組織
それでは、明暦の大火以降に整備されていった消防組織の内、代表例かつ入試で主に問われる内容をみていきます。
常火消(じょうびけし):
明暦の大火の翌年である1658年に、4代将軍家綱によって4人の旗本に命じて作られた消防組織です。
4つの町に火消屋敷を設置し、火消用の費用も用意したうえで常に火消を担当する人員などが常駐できるようにしました。
町火消(まちびけし):
1718年に町奉行の大岡忠相(8代将軍吉宗の享保の改革の時に活躍)が設置しました。
これは町人によって火消を行う組織を制度化したものです。
消防組織内の構成員の火消を火消人足(ひけしにんそく)といいます。
このころの消火方法は水をかけて火を消すのではなく、延焼を防ぐことに重点を置き、火事場周辺の建物を破壊・倒壊させる破壊消防というものでした。
そのため、家屋の構造を熟知している人が消火活動にあたることが多く、とび職などの職人が火事の際に一目散に駆けつけることもあったと言います。(用語としても、「鳶人足」とびにんそくという言葉があります。)
町火消は、命の危険にさらされながら活動を行うことから、町の人々から英雄のように扱われているところもあるようです。
【高校社会・日本史】江戸の火事 について ◎まとめ
高校日本史を学習している方々は理解していると思いますが、一つ一つの年代で覚えなければならない語句や知識は非常に多いです。
今回扱ったキーワードは明暦の大火・常火消・町火消の三つだけですが、それにもかかわらずこれぐらいの文章量が必要になります。
しかし、一つ一つの語句にも、それらが誕生した背景や経緯、その後の発展があります。そして、関係ないと思われた語句がつながる瞬間が出てきます。
そうした一つ一つのつながりを大切にして、日本史の用語を覚えるだけでなく内容を理解していきましょう。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。