
こんにちは。個別教師Camp事務局の齋藤です。
毎年7月14日は「ペリー上陸記念日」です。
1853年(嘉永6年)のこの日、
アメリカ海軍のマシュー・ペリー提督が率いる黒船艦隊が現在の神奈川県横須賀市久里浜に上陸し、
江戸幕府へアメリカ大統領の国書を手渡しました。
この出来事は、日本が約220年間続けてきた鎖国体制を見直すきっかけとなり、
その後の日本の進路を大きく変えた歴史的な出来事として知られています。

当時の日本は、江戸幕府による鎖国政策のもと、海外との交流を厳しく制限していました。
長崎でのオランダや中国との貿易を除けば、多くの外国との交流はほとんどありませんでした。
しかし19世紀になると、欧米諸国は産業革命によって工業や軍事力を急速に発展させ、アジアへの進出を進めていました。
アメリカも太平洋を横断する航路の確保や貿易の拡大を目指し、日本に開国を求めるようになります。
そんな中で現れたのが、蒸気機関を備えた巨大な黒船でした。
煙を上げながら進むその姿は当時の日本人にとって未知の存在であり、人々は大きな衝撃を受けました。
この様子を表した有名な狂歌が、
「泰平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船) たった四杯で夜も眠れず」です。
「上喜撰」というお茶と「蒸気船」を掛け合わせ、「四杯」と「四隻」を重ねたしゃれになっており、
黒船四隻の来航が社会に与えた衝撃の大きさをユーモラスに表現しています。
ペリーはその場で返事を求めることはせず、翌年に再び来航すると伝えて一度帰国しました。
そして1854年、再来日したペリーとの交渉の末、日本は日米和親条約を結び、下田と函館を開港します。
もしペリーが来航しなかったら、日本の近代化はもっと遅れていたかもしれません。
一方で、当時の世界情勢を考えれば、いずれどこかの国から開国を迫られていた可能性も高いでしょう。
つまり、ペリー来航は偶然の出来事というよりも、世界の流れの中で避けることのできない転換点だったと考えることができます。
現在では海外との交流は当たり前になり、世界中の人や物、情報が自由に行き来しています。
しかし、その出発点の一つには、1853年7月14日のペリー上陸という出来事がありました。
ペリー上陸記念日は、単に黒船が来た日ではなく、日本が世界へ目を向け、新しい時代へ踏み出すきっかけとなった日です。
歴史を学ぶと、一つの出来事がその後の社会を大きく変えることがあると分かります。
7月14日は、そんな「歴史の転換点」に思いを巡らせるのにふさわしい一日と言えるでしょう。
本日も最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。
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