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【今日は何の日】杉原千畝 7月29日 命のビザ発給決断 ~「命のビザ」に込められた勇気~

2026.07.29

いろいろコラム

こんにちは。個別教師Camp事務局スタッフです。

第二次世界大戦中、多くのユダヤ人難民の命を救った日本人外交官がいました。

その人物こそ、岐阜県八百津町で生まれた杉原千畝(すぎはら ちうね)です。彼が発給した「命のビザ」は、現在でも世界中で語り継がれています。

杉原千畝は1900年に岐阜県八百津町で生まれました。

幼い頃から勉学に励み、当初は英語教師を志していましたが、公費で学べる外務省の留学生試験に合格したことをきっかけに外交官への道を歩み始めます。

ロシア語を習得し、その語学力や情報分析能力を生かして満州やヨーロッパで勤務しました。

1939年、杉原はリトアニアのカウナスにある日本領事館へ赴任します。

当時のヨーロッパではナチス・ドイツによるユダヤ人迫害が激化し、多くの人々が逃げ場を失っていました。

1940年7月、日本領事館にはポーランドから逃れてきたユダヤ人難民が、日本を経由して安全な国へ渡るための通過ビザを求めて押し寄せます。

杉原は外務省へ何度も指示を仰ぎました。

しかし返ってきた答えは、「発給条件を満たさない者にはビザを出してはならない」というものでした。

外交官として命令に従えば、自分の立場は守られます。

しかし、目の前には命の危険にさらされた人々がいます。

深く悩んだ末、杉原は「人道上、拒否することはできない」と決断しました。

そして外務省の方針に反してビザを発給し続けます

領事館が閉鎖される直前まで、さらには駅から出発する列車の中でも手書きでビザを書き続けたと伝えられています。

そのビザによって、多くのユダヤ人がシベリア鉄道を経由し、日本へ渡ることができました。

終戦後、杉原は外務省を退職することになります。

当時はその行動が十分に評価されることはありませんでした。

しかし1968年、かつてビザによって命を救われたユダヤ人が杉原を訪ね、感謝の言葉を伝えます。

その後、杉原の功績は世界で広く認められるようになり、

1985年にはイスラエルから「諸国民の中の正義の人」に認定されました。

さらに2000年には日本でも外務省が戦後の対応について遺族へ謝意を示し、名誉が回復されています。

杉原千畝の行動は、単なる「ルール違反」ではありませんでした。

職務上の責任と、人として守るべき命

その二つがぶつかったとき、自らの立場を失う可能性を理解したうえで、人命を優先する決断を下したのです。

現在、岐阜県八百津町には「杉原千畝記念館」があり、その生涯や「命のビザ」の歴史を学ぶことができます。

私たちは杉原千畝の行動から、「困っている人を助ける」という人道の精神や、

一人の勇気ある決断が数千人の未来を変えることがあるという事実を学ぶことができます。

歴史は出来事を覚えるだけではなく、

その時代を生きた人々が何を考え、

どのような選択をしたのかを知ることにも意味があります。

 

杉原千畝の生涯は、時代が変わっても決して色あせることのない、人間としての勇気と良心を私たちに教えてくれるのです。

本日も最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。

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