こんにちは、個別教師Campライターの小室です。
模試や定期テストの勉強している際に、よく苦手としてあげられるのが「文化史」です。
しかし文化史というのはその時代の背景や権力者から読み取っていくと覚えやすくなります。
それでは本日は、日本における旧石器時代以降の文化史の流れを見ていきましょう。
【中学歴史・テストに出る】文化史の覚え方 ◎旧石器時代
まずは旧石器時代からさかのぼって考えていきますが、
旧石器時代とは何の時代だったか皆さんはすぐに答えられるでしょうか? (。´・ω・)?
旧石器時代は打製石器を使用していたことを第一の特徴としてあげられます。
では、打製石器をどのようにして使っていたかということを考えていくと、
ここが文化と時代のつながるポイントになります。
旧石器時代は主に狩猟・採集をしていた時代です。
狩猟採集をするために、素手ではなく「道具」を使おうとした。
それが握槌やナイフ形石器、尖頭器、細石器というように、
進化しながらより効率的に、便利にするために打製石器というものが発展していきました。
しかし打製石器というものはその名の通り、石を打ち付けて作ったものですから、
手が切れてしまうなどのケガをしてしまったり、不便な点も出てきます。
【中学歴史・テストに出る】文化史の覚え方 ◎縄文(新石器)時代
そのため、石を磨いて道具をつくる新石器時代(縄文時代)へと進化していきます。
縄文時代には、さらに「土器」をつくるという技術が生まれたり、
竪穴住居 や漁業をするための骨角器・丸太舟が使われたりなど、
技術的に石を打ち付けて道具をつくる旧石器時代から、大きな進歩をした時代でもありました。
【中学歴史・テストに出る】文化史の覚え方 ◎弥生時代
弥生時代では、磨製石器を使って狩猟・採集をしていた縄文時代からさらに発展し、
稲作・金属器が伝わったことが大きく影響を与えるようになります。
稲作を始めたことにより、収穫のための石包丁や脱穀のための木臼(きうす)、
保管のための高床倉庫が作られるようになりました。
また、縄文土器に比べて使いやすくするために薄い弥生土器が作られ、
壺や甕・高坏なども弥生土器で作られました。
やがて稲作に鉄器が使われるようになり、それとほぼ同時に青銅器が伝わったことによって
銅鐸(どうたく)や銅剣・銅矛(どうほこ)・銅戈(どうか)
(↑どんな形をしているか思い出せますか?↑)
が祭器として用いられるようになりました。
弥生時代は稲作が始まったことにより、集団が生まれ身分と紛争が生まれた時代でもあるので、
ここも関連付けて考えておきましょう。
【中学歴史・テストに出る】文化史の覚え方 ◎時代ごとの変遷
時代ごとの文化的な変化は代表的な遺跡にも表れており、
旧石器時代の代表的な遺跡は 岩宿・野尻湖・浜北・港川 です。
岩宿が打製石器を発見した場所、
野尻湖がナウマンゾウを発見した場所、
浜北・港川が化石の人骨を見つけた場所です。
それに対して、
縄文時代の代表的な遺跡は 三内丸山・亀ヶ岡・大森貝塚 など
生活の跡が見られるものが多い ということにもみることができます。
弥生時代には
吉野ヶ里や唐子・鍵 で紛争のために周りに深い濠や土塁を巡らせていたり、
紫雲出山では防御を目的とした集落跡も見ることができます。
【中学歴史・テストに出る】文化史の覚え方 ~旧石器・縄文・弥生~ ◎まとめ
いかがでしたでしょうか。用語がまとまってきた感覚がありますでしょうか。
文化はそれぞれ単体だけ覚えようとすると、時代が混ざってしまったり忘れてしまうこともあります。
そのため、必ず時代の状況と合わせて覚えていけるようにしましょう。
本日もブログをお読みくださいまして、ありがとうございました。
引き続き、学習に関するコラムや勉強方法などの記事を楽しみにしてくださいね!
小室
【略歴】
学生時代から個別指導塾で講師として研鑽を積み、現在はena個別牛浜の校長を務める。
大学在学時に中学・高校の社会科の教員免許を取得。
中学受験では都立南多摩中・立川国際中・私立明治大学中野八王子中などの指導実績あり。
高校受験では都立高全般の指導を行う。
これまでの経験を踏まえ、社会科分野を中心に受験に役に立つ情報を発信していきます。