こんにちは、個別教師Campライターの小室です。
模試や定期テストの勉強している際に、良く苦手としてあげられるのが「文化史」です。
しかし文化史というのはその時代の背景や権力者から読み取っていくと覚えやすくなります。
今回は「室町文化 南北朝・北山」についてです。
鎌倉文化
前回の内容で、「鎌倉文化」について解説しました。
前回もお伝えしましたが、
鎌倉時代は平治の乱で勝利して力を手にした平清盛を
壇ノ浦の戦いで源頼朝が破り、源頼朝が征夷大将軍として鎌倉で幕府を開いて政治を行った時代でした。
社会不安の増大などにより「鎌倉新仏教」が生まれ、
平治の乱で勝利した平清盛が日宋貿易を始めたことにより、鎌倉時代の文化には、宋や元の文化が影響を与えていました。
室町時代というのは、鎌倉時代で源頼朝を筆頭とする源氏が政治を行った後、
当時のナンバーツーであった執権という役職についていた北条氏が執権政治を行い、鎌倉幕府滅亡後に後醍醐天皇が天皇親政の建武の新政を行ましたが、足利尊氏に倒され奈良に移ったのちに、
足利尊氏の 京都の北朝 と 後醍醐天皇の 奈良の南朝 とが交互に政治を行う
南北朝の動乱を治めた足利義満などの足利家が征夷代将軍として政治を行った時代です。
今回取り上げる「南北朝・北山」は、
「南北朝」は上記の混乱の時代の文化であり、
「北山」は足利義満が京都にいるときに生まれた文化になります。
まず、「南北朝」の文化から確認していきます。
南北朝の動乱期には、戦いや歴史への関心が強くなり、書物でもその色味が強くなります。
北畠親房が南朝の立場から皇位継承の道理を主張した『神皇正統記』や、
公家側の歴史書であり、いわゆる「大今水増」で覚えられる四鏡の最後の『増鏡』、
武家の立場からの『梅松論』、軍記物語である『太平記』もこのころ広まったものです。
また、文芸として武士や民衆に広まった「連歌(れんが)」、
お茶の産地を当てる「闘茶」、足利尊氏が帰依した、武士上層部の支持を得た臨済宗の夢想疎石が開山した天龍寺などがありました。
全体としては文化的な面もありましたが、動乱期の色がかなり強い文化になります。
次に「北山」文化ですが、これは動乱が終わり、足利義満が京都にいたこともあり、公家の文化と禅宗がかなり反映されたものになっています。
一番有名なのが皆さんも知っている(観光スポットとして有名な)鹿苑寺金閣です。
金閣は寝殿造と禅宗様が折衷された造りになっています。次回取り上げる銀閣とも比較して覚えておいてください。
また、幕府が京都と鎌倉の禅宗の寺格制度である五山・十刹の制を定め、
いわゆる京都五山と鎌倉五山が設定されました。
また、文学や絵画、能楽も花開いた時代であり、
絶海中津や義堂周信の五山文学や水墨画、観阿弥・世阿弥が猿楽能を大成させ、
その中でも世阿弥の『風姿花伝』や謡曲、狂言もこの時代で発展していきました。
覚えることが多く大変な内容ですが、資料と合わせながら視覚からも覚えていくようにしましょう。
本日もブログをお読みくださいまして、ありがとうございました。
小室
【略歴】
学生時代から個別指導塾で講師として研鑽を積み、現在はena個別牛浜の校長を務める。
大学在学時に中学・高校の社会科の教員免許を取得。
中学受験では都立南多摩中・立川国際中・私立明治大学中野八王子中などの指導実績あり。
高校受験では都立高全般の指導を行う。
これまでの経験を踏まえ、社会科分野を中心に受験に役に立つ情報を発信していきます。