こんにちは。個別教師Camp事務局です。
これまで、地理や日本史に関する記事がいくつかございましたが、今回は世界史です。
中学校・高校でも習う「世界の四大文明」、覚えていますでしょうか。
エジプト・インダス・メソポタミア・中国の4つです。今回は、この四大文明について書いていきます。
世界史から世界遺産を学ぼう! 四大文明編 ①エジプト文明
エジプト文明は紀元前3000年頃から始まり、ナイル川流域で栄えた文明でした。どの四大文明でもそうですが、文明は川の近くで発達していきますので、定期テストなどでも川の名前とセットで覚えましょう。
この当時の文化としては、象形文字という絵を組み合わせた文字を使っていました。
象形文字には「ヒエログリフ」と言われる神殿などに刻まれた「神聖文字」、
「ヒエラティック」と言われる宗教文書に使われた「神官文字」、
「デモティック」といわれる広く用いられた「民用文字」がありました。これらの文字を現在の紙に相当する「パピルス」という草からできた紙に書いていました。
エジプトの世界遺産と言えば、「ピラミッド」やそのまわりにある「スフィンクス」のことを思い浮かべると思います。
現存する有名なピラミッドはギザという場所にある3つの巨大なピラミッドでしょう。
それぞれクフ王、カフラー王、メンカウラー王のピラミッドがあり、クフ王のものが最大で、面積は4600平方メートルです。これは東京ドーム約1個分の大きさとなります。
よく「東京ドーム○○個分」という表現があるので、大きさの数値からはあまり驚きがないかもしれませんが、4000年ほど前の時代に機械にたよらず、人間の手によって作られたこと、
そしてこれが一人の王を祭るためのお墓と考えると、その素晴らしさや王権の強さを感じることができます。
この1年ほど前でも、ピラミッドで新たな空間があることが判明したとのニュースがありました。今後もエジプト文明の研究から目が離せませんね。
世界史から世界遺産を学ぼう! 四大文明編 ②インダス文明
インダス文明は紀元前2000年頃から始まり、インダス川流域で栄えた文明でした。
インダス川上流にある「ハラッパー」や下流にある「モヘンジョダロ」といった都市国家が形成され、栄えていきました。
「モヘンジョダロ」は「死の丘」という意味があります。また、この世界遺産は、インダス文明が起こった場所にある都市国家なのだから、現在のインドにあたる場所だと思うのですが、実はインドの隣の国であるパキスタンに位置しているというのは、驚きですよね。
また、この文明はインダス文字という文字を使っていたのですが、現在もまだ未解読です。
未解読文字というのはロマンを感じませんか。
また、この文明は様々な説はありますが、突如として衰退してしまいました。よく耳にする説は、木の伐採による環境破壊で文明が衰退したと言われています。
世界史から世界遺産を学ぼう! 四大文明編 ③メソポタミア文明
メソポタミア文明は、紀元前4000年頃、ティグリス川とユーフラテス川の間で栄えた文明です。
ちなみに両川の間の土地を中心として、ティグリス川は右側、ユーフラテス川は左側を流れています。
この地域は、「肥沃な三日月地帯」と言われており、肥沃な土地が三日月の形のように広がっていることからこのように呼ばれ、農耕が行われていました。
栄えていた都市は「ウル」、「ウルク」、「ラガシュ」といった下流の都市でした。中でも、ウルには「ジッグラト」と言われる聖塔がありました。これは神殿に付属して建てられたもので、自然の山の信仰が起源だと言われていますが、はっきりとわかっていません。
世界史から世界遺産を学ぼう! 四大文明編 ④中国文明
日本にとっても非常に大きな影響を与えた中国文明には、黄河流域で起こった「黄河文明」と長江流域で起こった「長江文明」がありました。難しい漢字が多いですが、見ていきましょう。
黄河文明は、紀元前6000年頃から雑穀などの農耕が始まっており、紀元前3000年頃には、仰韶(ぎょうしょう)文化という彩文土器を特徴とした文化が黄河中流域で現れたり、黒陶を代表とする竜山文化が黄河下流域で紀元前1500年頃までに成立していました。
長江文明は、紀元前5000年頃に長江下流域で河姆渡(かぼと)文化が起こったり、紀元前1500年頃までには良渚(りょうしょ)文化が成立しており、稲作を中心とした農耕が行われていました。
その後には、現存している都市である河南省安陽市に「殷墟(いんきょ)」を中心とした殷(いん)という中国最初の王朝が誕生しました。この「殷墟」は世界遺産に登録されており、この都市遺跡からは甲骨文字が発見されました。
さらにその後は、春秋・戦国時代という戦乱の時代を経て、中国を統一した初めての王朝である秦が誕生しました。
この王朝を建てた人物は嬴政(えいせい)であり、皇帝の称号を採用し始皇帝と呼ばれるようになりました。この時代は、北に強力な遊牧民である匈奴(きょうど)がいました。
彼らの侵略を防ぐために築かれたのが、「万里の長城」です。
「万里の長城」は、全長約3000kmにもおよぶ城壁であり、異民族の侵入を阻んできた重要なものでした。
月から見える唯一の構造物と言われており、その規模の大きさがわかるかと思います。身近な距離で例えると、東京と大阪間が約500kmと言われているので、その6倍という長さです。
もう一つあるのが、「秦の始皇陵」と言われる、始皇帝の陵墓、つまりお墓です。
これは現在の西安近郊にあたる地域にあり、兵馬俑という粘土から作られた兵士を模したものが並べられており、その数は6000体以上にも上り、始皇帝の偉大さがわかるものとなっています。
ここまで、世界の四大文明を中心に取り上げてきました。
ナイル川流域のエジプト文明、ティグリス・ユーフラテス川流域のメソポタミア文明、インダス川流域のインダス文明、黄河・長江流域の中国文明といずれの文明も川の近くで起こっており、そこから農耕が始まるなど生産経済で食料をつくり、食料が賄えることで、人口が増えていき、都市が形成されていったということが言えます。
その都市が栄え、文明・文化が発展する過程で、現存する世界遺産が生まれてきたことを考えると、それらの世界遺産は歴史を伝え、様々なものを感じさせてくれる素晴らしいものだと思います。
本日も最後までお読みくださいまして、ありがとうございました。